震災の3月11日がまた巡ってくる。4年が過ぎる。時間の経過は後戻りすることができない。どんな理不尽な不条理も起きてしまった事実は、乗り越えていかなければならない。それは、どんな状況下にあっても、生かされている者の使命であろう。

4年間の時間は、中学を卒業した子どもたちが高校生活を終え卒業していくだけの時間である。3月には多くの高校生が社会へ旅立っていく。震災と原発事故を体験し、感情の豊かな思春期を異常な状況で過ごした子どもたち、その中で成長した子どもたちの未来はどうなるのか。原発事故の不安については、周囲の大人たちの意見が大きく異なり、その中で自分の考えを求められ成長してきた。それは、人生の中では、かけがいのない宝に気づく経験となったのではないだろうか。さまざまな場面での発表や意見のなかで「命」の大切さを実体験をもとに訴える。身近の人たちの「死」に直面し、これまでの生活環境を一瞬にして失い、新たな環境の中で多くの人たちの助けを受け成長してきた子どもたち。

そこには、社会が、忘れかけていた「命」の大切さと、それが周囲の人々の支えで作られていることの大切さを知ることとなった。その若者たちが社会に巣立っていく。これからの社会を変えていく力となっていくことを期待したい。

川崎での中学1年生の殺害事件、異常な狂気に満ちた事件である。そこには「命」を弄ぶ犯人の姿を感じる。周囲の人々からの愛情を受けられず、強がりだけで自分を誇示してきた若者、自分の命の重みを知らずに育った人間、そんな犯人像が頭をよぎる。周囲の人々に助けられ愛されて育った経験、身近な人々の「死」、そこから「命」の大切さと掛け替えのない人との繋がりを知った福島の子どもたちの姿の対極にある。子どもたちを孤独に追いやり、「命」を軽視する現代社会の病巣を見る思いである。

震災と原発事故は、人間にとって最も大切なものを気づかせ、新たな未来への胎動を開始している。これからの若者たちによって。