今年の夏は、暑い。真夏日、車の中はハンドルが熱くてつかめない。しかし、夏は暑いのが当たり前、季節に合わせて暑い時期は暑く、寒い時期は寒く、良いことである。冬の頃には、冷夏ではと言う話があったような気がする。

予測と現実。これから先のことを、過去のデータなどに基づき予測する。先のことが分かれば都合の良いことは多い。気候変動は私たちの生活に密着した問題で大きな影響をもたらすため、最も身近な予測として天気予報が行われてきた。長期から短期、地域ごとさまざまな予測が行われている。その結果は、期間の経過とともに、現実の中で明らかとなる。予測は、当たる場合と外れる場合が当然ある。現実の中で結果は出てしまう。これをどう見るか。私たちは、結果だけを見て予測を評価し、当たらないことを批判する。

しかし、予測の役割と重要性は少し違う。予測を立てるためには、多くの過去のデータを蓄積し、そこからの結果として一定の予測が可能となる。過去の経験知が現在の予測を作る。予測は、私たちの生活を守るための英知として生かされる。台風の接近、竜巻情報、大雨・雷注意報等々、生活への危険を早く知ることで対策は立てやすくなる。正しい予測は、私たちの命と生活を守るために不可欠のものである。リスクを伴う危険は、最悪の予測をもとに対応することが、危険を回避する最良の手立てとなる。先日も台風接近を予想し、前日に休校の処置が取られた。進路はそれて何もなかったが、予測がはずれてそれで良かった。それは結果として蓄積され、新たな予測と対策のために生かされていく。

国の政策は、政策目標と成果予測を持って行われているはずである。過去の歴史と経験から一定の予測が立てられる。政策目標は、それを実行していく過程で現実となる。自然現象である天気予報、人間社会が作り出す社会現象、人間の生活に欠かせない情報でありながら、社会現象についての予測はリスクを隠す傾向が強い。リスクが現実となってからでは手遅れとなってしまう。戦争を悪としながら、戦争を続ける人間社会、人命を最も尊いとしながら、虐殺を続ける人間社会、雷鳴の中で早く目覚めなければ…。