2015年が明けたと思っていると、もう2月。月日の経つのは早い。震災・原発事故からまもなく4年が過ぎる。生きているということは、過去の記憶を徐々に失いながら新たな記憶を積み上げていくことなのかも知れない。しかし、過去の記憶が現在の状況を作っていくことを忘れてはならない。

さまざまな専門分野に細分化され、緊急時から生活再建に向けて、さまざま対策が行われ今も続いている。被災した当事者にとっては、速やかな生活再建こそ最も大切な課題であるが、当事者ではないと考えている人にとっては、悲惨な災害時の記憶が薄れていくとともに忘れ去られていく。災害時の緊急支援は、交通事故で救急車に搬送され応急処置を受けたようなものである。その後は、リハビリ等の介助を受け社会復帰を目指していく。この時期の支援が生活再建期の支援となる。一人一人怪我の程度が違い、後遺症も違う。その状況に合わせ寄り添いながらリハビリを行っていく必要がある。

国の予算が決まり、県の予算も決まろうとしている。厖大な金額が計上されている。福島県の予算も1兆円を超えた。予算の財源は、国民一人一人が働き生み出した生産の中から強制的に集めた富=税金と国債である。予算の執行は、この富を再分配していくことである。この国債が問題である。国債を仲介して巨額の富の移動が進む。税は、公共の福祉のため国民に再配分されるが、国債は逆に富の集中を加速させ格差社会を拡大する。

厖大な賠償金や予算が投入され、巨大な災害ビジネスが生まれている。そこでは、現場に生きる生活者の視点がかき消されていく。生活者とは、土地に生きる人間を全体で捉える視点である。命を繋ぎ生き続ける人間の営みを守る視点であり、それこそが社会の使命でなければならない。春の日差しは、命を繋ぐ自然の営みを大地に芽吹かせていく。人間も自然の中で生かされ、生き続けて来たことに目を向けなければならない時を迎えている。