確定申告は、3月の年中行事のようにやってくる.個人で事業を行っている人たちにはこれが終わらないと一年が終わらない。確定申告とは、国民一人一人が自主的に、自らの所得を計算し申告する制度で、申告納税制度といわれている。これにより国等に納められるお金が税金となる。

税金が高いか安いかという議論がよく聞かれる。国会では予算の審議が行われ、今年の税制改正案が提出されている。自民党圧勝後の安倍政権、積極姿勢で政府案を通していくものと予測される。赤字国債への依存をますます高めている。

国と国民の関係をどう考えるか。確定申告のこの時期、当たり前と考えていることを改めて考えてみる良い機会ではないかと思う。国は、国民に納税の義務があるという。しかし、その前に、国は、国民の基本的人権を守り、国民一人一人の生存権を保障する義務がある。国民の意思により国を造り、この国の目的を義務化したのが日本国憲法である。国が、国民より委託されたこの義務を果たしていくためには、国民一人一人が一定の負担を負わなければならない。国があっての国民ではなく、国が決めた税金は国民の義務として無条件に納税義務があるのではない。

申告納税制度の前提は、国と国民の役割とその信頼関係にある。国民の生存権を脅かし、強権により負担だけを求める政治の中では健全な定着は望めない。無謀な貨幣増発、国債の発行は、一部への富の集中を加速し、国内の貧富の格差を拡大する。貨幣増発は、手元の現金の価値が下がっていくことを意味し、国債のために、国は税金で徴収したお金を国債の持ち主にせっせと返していくことになる。結果、富の集中は進む。いったいどこに集まるのか。

原発事故の教訓として、国民の生存権を守ることを最優先する社会、それを託するに値する国のありようを、私たち一人一人が考えていかなければならない時に来ている。国と国民の信頼回復の中から、申告納税制度の健全な発展は可能となる。信用できない相手に取られたものほどもったいないと思うことはない。