8月になると、広島、長崎の原爆の話題が多くなる。平和の大切さを訴えるコンサートやイベントが行われ、原爆の被爆者が語りべとなり原爆の悲惨さを訴える。「風化させたくない」「語り継ぐことが使命」との思いからその活動は続けられている。戦争体験を語れる人たちも80歳以上の高齢者となり、風化させたくないとの思いとは裏腹に風化が進んでいる。

原発事故から3年、県外の多くの地域では、処理の終わった過去の事故として風化してきていると聞く。話題として取り上げられる回数も減り、被害者の姿が遠くなっていくことで風化は進む。

悪魔の兵器「原子爆弾」、その平和利用として登場した「原子力発電所」。原子爆弾の原料生産工場としての原子力発電所の余熱利用の副産物が発電であったと考えると恐ろしい。悪魔の手の内にある平和、原発事故はその危うさを白日の下に明らかにした。そして再び、原子炉の輸出再開、原発の再稼働、原子力開発は国策として進められようとしている。

原爆の悲劇を生んだ敗戦の教訓から生まれた平和憲法である日本国憲法、その重みは現在の社会状況の中で日に日に増している。今、多くの失われた人々が残してくれた平和の大切さへの想いを風化させてはならない。真の平和を求めていくことが今を生きる私たちの使命であり、それが失われた命への鎮魂となるのではなかろうか。