東京都知事選の選挙戦が、東京では行われている。9日には投票が行われ、結果は好む好まないに係わらず出されることになる。選挙戦が始まると、始まる前の報道の賑やかさに比べると極端に少なくなる。地方にあっては、当然に選挙権はない。巨大な選挙ではあるが東京都もまた日本の一地方でしかない。しかし、一極集中が進む日本の首都東京の動向は、これからの日本の動向を決めていく重要な意味を持つ。

選挙の判断基準についての、世論調査が報道される。何が一番重要視していますか。何がと問われると自分の今求める理想的なものから抽象的なものを選ぶ。調査の内容項目の選定は、結果を予測的に誘導していく。生活を優先してもらいたい、脱原発ですか、という問いを2者選択のアンケートで行いば、生活を選ぶ。しかし、本来は同列に並べて比較できる問題ではない。生活を優先する社会を求めながら現実はそうなっていない。その現実の世界さえ根底から破壊してしまうのが原発のリスクである。目標実現のための政策の選択を正しく示すことが政治家の責務であり、これを選挙民に伝えることが大切である。理想論と政策を比較させる手法は、問題点を曖昧にし混乱させる結果を招く。調査する側の意図が働く。

ふくしまの避難者へのアンケートでも、避難当時から帰村したいですか、とのアンケート踏査の結果がたびたび報道されてきた。戻りたいか戻りたくないかを問われれば、戻りたいと答えるのは当然で、素直に答える老人の回答率は高くなる。しかし、それができない状況が問題なのである。希望と現実のギャップを正しく分析し対応をしていくことが政治の課題である。それを混同させることで原因と対策を曖昧にしていく。

マスコミに取り上げられる調査、公平性を装いながら政治の動向を誘導していくため手段として利用されているように思えて仕方がない。市民として判断するためのスキルを高めていくことが大切であり、それが未来の選択を決めていくことにもなる。