3月11日、震災と原発事故から3年が経過した。過ぎてしまうと短くもあり長くもある。時間は確実に進み、すべてを変えていく。震災と原発事故の新聞記事が載らない日はない。避難区域となった町の現在の様子を見る。事後当時から止まった町並み、イノシシが民家に群れている。無人化したゴーストタウン。時間を戻すことはできない。

福島市では、まちの随所で除染作業が続いている。除染で集められた土は、敷地内に土嚢に詰められ積まれている。敷地内に埋められている場所も多い。仮置き場が出来しだい搬出されることにはなっている。

3年が過ぎた原発の現場では、汚染水のニュースが絶えない。増える一方の水をタンクを増設しため続ける。原発周辺の敷地はタンクで埋め尽くされている。汚染水を入れたタンクの腐食は時間とともに進む。流れる水は高きから低きに流れるは道理である。知らないうちに海に流れていく。何も根本的な対処法は決まっていない。

「ただちに影響はない。」当時の大臣の説明がよみがえる。3年を経過しこれからどのような影響が出てくるのか。東電賠償の終了、除染終了後の福島はどうなるのか。すでに一部では不安が現実になってきている。阿武隈山系の山間部から集団移住を余儀なくされた高齢者世帯、帰村宣言等による賠償の打ち切りと戻れない現実の中で困窮化していく高齢者群の大量発生が既に始まっている。

平坦で肥沃な農地は、ソーラーパネルで覆われ耕作放棄地となる。再生エネルギーの供給基地化と農業の衰退は進む。

原発事故は、日本の抱える問題をこれからの日本国民に問い続けている。