2月6日、トルコでM7.8の地震が発生、崩れた家の瓦礫の山となっている姿が映し出される。ほぼ同時に2カ所で発生、その後も余震が群発している。犠牲者の数は日を追う事に増加している。生存者の救助は、3日以内と言われているが、かなり厳しい状況にあることは想像に難くない。平穏に明けたと思われた2023年もいつまでもは続かない。昨年の2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まり間もなく1年が過ぎようとしている。ウクライナとトルコ、黒海を挟んでの隣国である。地震の爪痕は、攻撃で破壊された建物の瓦礫の山と重なる。自然災害と人災、生活現場が一瞬にして破壊され、命の危険の中で逃げまどう姿に区別はない。

福島県沖のM7.3地震も昨年の3月16日であった。12年が経過する2011.3.11の東日本大震災の余震とも言われる。また、南海トラフの地震もいつ起きてもおかしくないと言われている。自然災害の脅威に加え、日本の上空がミサイルの威嚇競争にいつ巻き込まれてもおかしくない状況のように見える。間違いは、人間の行う行為には常に付きまとう。「原発は安全だ 」と言われ信じていた中での東日本大震災、想定外の原因による原発事故、「想定外」とは、人間の無知による間違いにほかならない。地震による損壊の程度も同じ建築基準により許可されていても建物により大きく差が出る。ミサイルも数の中には不良品もあると考えれば、間違えて意図しない場所に飛んでいく可能性もゼロではないと思う。 自然災害の脅威の中で、助け合い支援するためのネットワークが人々の中に生まれ、様々な社会的しがらみを取り払った助け合いの輪を形成していく。東日本大震災でも形成され、共生社会を目指す流れを世界的に醸成していたと言える。そこには人としての人縁を感じ助け合う姿を感じさせる。人災は、特定の人間の利害に翻弄され、相手の人間を倒すために武器を磨く。その結果は、人間同士に憎悪を生み、新たな対立と破壊を準備する。過去の歴史は、そこから何を学ぶかで、人間の未来に諸刃の剣となる。