5月3日は憲法記念日。今年で日本国憲法施行75周年を迎える。太平洋戦争の敗戦から始まる戦後、その出発点に日本国憲法がある。悲惨な戦争からの反省から、戦争の放棄を謳い、国民主権のもとに平和国家を建設していくことを目指して平和憲法が制定されたと思う。75年の月日の中で、改正が必要な条項が出てきていることは否定できない。しかし、改憲というときには、その中身が問題となる。充分な議論を重ねた上で日本社会の未来への道しるべとなるべきものとしていかなければならない。

ウクライナの戦争では、国とは?領土とは?国民とは?古くて新しい課題を世界に投げかけている。戦後の世界秩序を作ってきたアメリカとロシア、民族の独立運動を背景に先進国の思惑が絡み合い、戦後世界には多くの独立国が創られてきた。その基軸国の一つであるロシアが、独立国である隣国ウクライナに大軍を送り込み、戦争状態となっている。親ロシア派住民の多い地域の独立を支援するとして進行したロシア軍、国境を越えて侵入されたウクライナにとっては国の分断を目指す侵略軍となる。

旧ソ連時代の中心を担ってきたロシアとウクライナ、ソ連の崩壊後もロシア圏の兄弟国として存在してきたが、EUの拡大が進み、東欧のEU化の中で状況は変化し、ウクライナのEU加盟も時間の問題と見られていた中での事件である。様々な利害が絡み合い、戦後の世界秩序を創ってきた大国同士の対立は、自らが作り上げてきた世界秩序の崩壊へと歯車を回し始めている。

国が普遍に存在するという前提が揺らいでいる。国の国境が国際社会で守られるという保障は何もない。その中で国民とは何か。無条件に国民として守られているということはない。守り合い、助け合う住民同士が、自らの国を創っていくための基本に憲法がある。住民の意思により、国へ統治権を信託することで国は成立すると考えるのが、国民主権であり、これが日本国憲法の根幹をなす。世界秩序が揺らいでいく中にあっては、自らの未来を考え現状を乗り越えていくだけの自覚を持って、日本国憲法を考えていかなければならない。ウクライナの戦争は、国民にとっての国とは何かという根源的な問いを投げかけている。憲法とは何か?護憲・改憲の二元論ではすまされない状況にある。