西日本豪雨は、他人ごとではない。被災地にひまわりプロジェクトで交流を深めている地域も多く、直ちに募金を始め、現場の人たちと連絡が取れると直ちに支援物資を送り訪問した。福島での水害の記憶が蘇る。水害で水が引いた後には、ヘドロが付着したゴミの山ができ、何とも異様な光景であったことを思い出す。

災害は忘れたころにやってくると言われる。人間の一生の時間は長生きをしても100年、自然災害の記憶は、100年単位の時間軸の中で起きる。その場所の記憶を何代にもわたり伝えていないと災害の教訓は生かされない。想定外の豪雨とされる水害、これは自然災害であるが、住宅地の拡大に伴う開発や造成工事により被害を大きくしている。そこには、人災の側面が見え隠れする。

災害が起きると、「想定外」であったために防げなかったと説明される。「想定内」と「想定外」の判断基準は何なのか。今回の水害もダムが決壊し被害を大きくしている。川の周辺地域が住宅密集地になっている。すべては開発許可や建築許可を得て建設されてきた。そこでの災害に対する「想定内」の判断基準に地域の記憶が生かされていない。今回の水害でも広島県坂町小屋浦地区では100年以上前に起きた土砂災害を伝える石碑があったが悲劇は繰り返されたという。

ふくしまの原発事故も「想定外」の地震と津波によって起きたとされながら、すでに以前から地震や津波の記録は知られており、管理責任のある者が想定する災害の可能性の中に含めていなかったということである。都市計画、開発許可や建設許可の基準は、ほとんど国の基準に準じて決められてきた。画一化された判断基準は、自分をその判断基準外に置いて見ている分にはわかりやすい。しかし、自分たちが被害者となる可能性を持つ当事者であることを考えると不安は一挙に増大する。

地域の特性を理解し、地域で生きてきた人々の記憶を大切にした判断基準を想定の内に取り込むことで人災の部分は大きく縮小するのではないだろうか。私たちは、災害を他人ごととしない防災意識を持たなければならない。